素描

あわのような思いを記録していくところ

生きろわたし。

恐怖のこの日がやってきた。
乳がん精密検査である。
 
わたしは右乳になかなか厄介なしこりを抱えていて、毎年会社の健康診断で引っかかり、要精密検査を繰り返している。
本当に微妙なグレーゾーンのしこりだ。ちょっとしたはずみで悪い方にも転ぶ。
今はまだ良性だというだけ。
授乳経験ないし未婚だし母親も乳がん経験者で(もう20年以上生きてるけど)、とりあえずわたしは乳がんリスクが激高であることは自覚してる。
毎年精密検査が近くなるたびに人生における後悔が頭を過るけれど、これはもう仕方がない。
すぐにどうこうできるものではない。
  
今日は12時に早退して、13時から検査へ。
何度経験しても絶対慣れることはない。どーにでもなぁれ!て思ったり、
いや今度こそダメかもって悲観したり、
いっそ仕事放り出して入院したいなとか。
上司に「がんになりまして・・・」って切りだす場面を脳内リハしてみたりとか。
とにかく心臓は踊り狂い脳内はB級パニック映画なみの激動に振り回される。
 
検査中は、壁に貼ってある痔のポスターをひたすら見てた。
なんにも残してない人生だったな、ってしみじみ思う。
孫の顔どころか、愛する人や私を愛してくれる人の顔さえ親に見せてあげられてない。
貯金ないし末端社員だし将来どころか数カ月後も想像できない崖っぷちぶりだし。
趣味でも仕事でもなにかを残したわけではない。誰かの心に深く印象をあたえるような人物でもない。
かみくず、だな。
とか考えてた。
悲しくはない。
でも情けない。
世の中の人も、自分の人生を振り返ってこんな風に思ったりするのだろうか。
何一つ結果出してないまま30数年生きてきたって逆にすごいこと・・・になったりしないかな(甘いかな
 
細胞診の針の痛みと、内側から沸き起こる孤独というなまえの痛み。
よく耐えたよ。
 
 
 
朝からずっと、高橋優の「明日はきっといい日になる」が頭のなかに流れてた。
 
生きたいんだな。私。
何も残してないながらも行きたいんだよばかやろう。
 
 
本日の検査の結果は、週末。
また半休取るの肩身狭いな。
でも仕方ない。
 
  
よし。
 

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痛かったよ。

 

 

 

 

さよならガール

いきなり二度寝してて「うそだろおい」となった朝だった。
当たり前だけどひとりだ。
寝坊してもひとり。
 
 
ついこの間まで、わたしはごりっごりのジャニヲタだった。
会社の人には「コンサートのチケット手に入ったら行くよ~」程度のファンを装っていたけれど(それでも一般の人から見たら立派なファンだろう)
本当はコンサートに番協にエキにツアーとなれば遠征上等チケ死守当たり前なハードヲタクだった。
自立できなかった。貯金できなかった。っていうのは言い訳にはならないけれど。
でもヲタ活するために働いてるようなものだった。
そうなっちゃダメだ自分の生活を一番に考えなきゃダメだ俺達が生活の全てになっちゃダメなんだよ、と私の好きだったタレントは言っていたけれど、そうやってバランス保って応援できる人は根本的にしっかり地に足をつけて生きているし、視野も広い。
 
黄金期は、中学生のときだった。
きらきらのジャニーズJr.たちの中での飾らない佇まいが衝撃的で、
衝動に突き動かされるようにファンからヲタクになって、
その瞬間からわたしはずっと地に足をつけられないまま、年齢だけ大人になってしまっていた。
 
これからの人生を考えて、まず実家を出ようと決めた瞬間から
自然と長かったジャニヲタ人生にも終焉が見えてきた。
嫌いになったとかではなく、興味がなくなったわけでもなく、
今でも大好きだし、いびつな青春だったかもしれないけれど数々の思い出は宝物に違いない。
でも、星がくっついたり離れたり変化するように、
なんか自然と衝動や執着心のようなものがなくなっていって、
まずはわたしはわたしの人生を頑張ろうと思った。
 
そして人生に余裕ができたら、また応援するのもいいかなって気持ちになった。
思わぬところで活躍を目にして懐かしい気持ちになったり、嬉しくなったり、
あーわたしも頑張らなきゃなって思ったり
そんな距離感でゆるくファンでいたいと思うようになった。
 
だれかを好きになることは、
それが芸能人であろうとアイドルであろうと身近な人であろうと素敵なことには違いない。
でも地に足をつけて、視野を広げて、ステージの上の人よりも周囲の人をまず大切にしなければ、
触れ合える距離で生身の人と言葉をかわしたり感情をぶつけたり心を開いていかなければ、
自分を生きていることにはならない。
自分の人生を自分が大切にしないで、いったい誰が大切にしてくれる。
テレビの中の人の耳障りの良い言葉だけを拾い集めたところで、それがどれほど自分を強くするのか。
   
グッズや録画データや切り抜きやもろもろは、
最近ファンになった人やジャニヲタ仲間たちが少しずつ、でも大勢のひとが引き取ってくれた。
全部手放した時なんとも言えない心の痛みを感じたけれど、
胸の中で途方に暮れていた、中学生の頃の自分がやっと救われたような気がした。
 
さようなら。
ありがとう。
   
 
 
 
 
 

こんにちは新しい街

私は明日、新しい街で生活をはじめる。
三十路にしてやっと自立。遅すぎた転機。
 
就職したてのころ、一度父親の転勤でやむにやまれず一人暮らしをしたことがあるのだけれど
1年そこそこで会社を辞めて家族の元へ戻ってしまった。
初めての一人暮らしのときは社食と干し芋で生活してて、10キロ痩せたことと、
なんだかんだ月一ペースぐらいで実家に帰ってたことと
東海地方の片隅の街の駅の、裏寂しい路地裏に興味津々だったこととか(古き好き猥雑な昭和のかおり)、
地味ながらもゆるっとした生活を堪能していた。
仕事もバイトのような契約社員だったし。
歯がごんごんに腫れて口腔外科で簡易手術的なのをしたことと
アイロンでやけどした時と
常に金欠だったことくらいかな、一人を身にしみて感じたのは。
良くも悪くも考えなしだったし若かった。
 
 
それ以来、人生の9割を実家暮らしで過ごしてきたわたしが。
両親に帰省してきたこのわたしが。
 
あ、ほんなら一人暮らししよ。
物件探そ。
となったのは6月初め。
そっから人生初めてのひとり不動産屋めぐり。
自力物件探し。
あらゆる不動産屋さんからのメールや電話攻撃をかわし、
「広くて駅チカで築浅だから」という理由だけで、夜は1階のコンビニの軒先にヤンキーが溜まる繁華街のどまんなか(知らなかったけど路地入ったら風俗街・・・)のマンションの契約寸前まで行って、さらに言うと手付金まで払っちゃて弟に1ヶ月バカにされ続けたり(死ぬまで笑われるやつ・・)
優先順位が「とにかく会社まで近くて乗り換え無しで行けるとこ」という、大嫌いな仕事基準の思考に縛られてる自分に悲しくなったり
山あり谷ありしながらも1ヶ月で部屋が見つかりました。
 
明日はひっこし。
この街に住む。先走って市役所と郵便局で手続きを済ませてきた。
バスで巡る明日からのわたしの街。
 
実家にはこれからも時々顔を出すけれど、
実家ぐらしにはもう戻らないという不退転の覚悟であります。
 
親離れしたかった。
親の愛情は身に余るほど注いでいただいているけれど、
自立しないと私の人生だめになる。もう手遅れかもしれないけど。
 
ちょっとだけ親(特に母親)の愛が重すぎて。
心配性すぎるのが苦しくて、この先を考えた時に自由になりたかった。
 
ボーナスも貯金も露と消えたけど、踏み出せた。
 
 
リラックスできる自分だけの空間つくりたいな。